12畳半の1DK

地元に戻って、静かに息をしています。

空白の4カ月を迎えて。

私の人生の中で大きな空白が生まれた。

 

「休職願」

 

こんな書類を目にするなんて、思ってもいなかった。

終わったと思った。

自分はもう要らないも同然。

 

人事部に新しい中途社員が入ってきたらしい。

 

私はいらない、いらない、の、と涙が止まらなかった。

 

 

 

 

 

元々、感受性が豊かすぎた。

1人で抱え込むことも多かった。

それゆえ。

 

 

それゆえなのかな。

 

 

抑うつ状態からうつ病へ、

うつ病から統合失調症へ。

 

 

私はどこへ向かうんだろうと不安になる。

 

 

 

家族に迷惑をかけていたのに、さらに迷惑をかける始末。

毎日泣きそうになる。

酔っていたい。

ふわふわ、どこかに行ってしまいたい。

放っておいてほしい。

 

 

孤独だ、寂しい。

こんなに人と近いのに、孤独で、寂しいなんて。

強欲、傲慢、情けない。

 

 

やりたいこと、したいこと、

会いたい人、会いたくない人、

決めなきゃいけないこと、

そうじゃないもの、

 

どんどん自分で決められなくなっていく。

 

 

 

怖い。

 

1年越しの鏡を見つめて。

ついに、捨ててしまいました。

 

 

 

「何を?」と思われるかもしれませんが、本当にアレコレ捨ててしまいました。

 

ドンキで5000円分の購入品交換の時に貰った、森林の香りがする香水とか

居酒屋に行った帰りに見つけた、可愛い顔がついたお花とか

貴方に可愛いって言ってもらいたくて買った、チェックのスカートとか

私の家に来るたび書いてくれていた、置き手紙とか

置いて行った歯ブラシも、ボディタオルも、

 

 

どうしても、目に入るところに思い出が散りばめられた

この部屋から出たい気持ちはあるけれど。

 

自分の気持ちくらい、自分でどうにか片付けてしまわないといけないから

なんとか自分を起こしてあげて、毎日自分を褒めるしかないのです。

 

 

私から言い出した決断だったのに、何度も何度も泣いて泣いて

ちょっと痩せた?とか言われて、

好きなだけ辛ラーメンを食べている生活だから太っただろうと思っていたけど。

 

 

迷惑なくらい電話もかけたし、

話し合いにならない話し合いを何回もさせてしまってごめんなさい。

酒癖が悪い私なので、早急に直さなければいけない課題です。

じゃないと、もう誰も拾ってくれないだろうから。

 

 

 

 

 

 

もう貴方を想って泣く日はなくなりました。

 

 

 

でも、曲を漁ってもおすすめしてくれた曲、ふたりで聞いた曲、

 

寝室に行けば貴方がゲームセンターで取ってくれたぬいぐるみばかり、

 

クローゼットを開ければ一緒に買ったパーカーにトレーナー、

 

お揃いで買ったちょっと高いネックレス、

 

あ、お揃いの指輪は貴方の家に置いてきちゃった。

 

別れ際にくれた文字入りのブレスレット、

 

まだまだ、捨てられてないけれど、

 

 

 

私は前に進まないといけない、どうしてもここで止まってはいられない。

 

 

どうしても「好きだけじゃだめ」だったのに、

お互いどうしていいか分からなかったね。

 

 

貴方のために、貴方に寄り添った言葉や行動ができなくて

私、本当にダメだった。

もっと早く、貴方の手を離してあげるべきだったんだろうけど

ずっとずっと依存して執着してたのは私の方だったね。

 

 

 

 

 

まずは、自分を見つめなおして、

いつか笑えるような恋になるように、

ひたすらに生きていこうと思います。

 

 

 

 

 

この1年、ひたすらに楽しかった。

 

ひたすらに、苦しかった。

 

お互い我慢しすぎたね、

 

幸せになれたらいいね。

 

 

 

 

 

供養として、ここに。

 

 

 

2023.05.22

私が生まれてくるまでの日記

お題「わたしの宝物」

 

突然なんですが、「もう消えてなくなりたい」なんて思うことありませんか。

かなりネガティブな投げかけすぎるけど、私は上京してからそう思うことが増えてしまった。

 

初めての地で、1人暮らし。上京した友達は2人くらいしかおらず、大学には知り合いが1人もいない。

今まで実家暮らしで、ご飯を作ることはもちろん、洗濯も掃除もまともにやってこなかった私が知らない地に1人。

 

引っ越しからガイダンスが始まる約1週間くらいは、母と2人で過ごしていたけど、母を見送ってから部屋に1人になった瞬間、涙がボロボロ出て止まらなくて。

「ああ、本当に1人なんだ。」って突き尽きられてたまらなかった。

 

 

 

 

 

 

確実に1人で乗り越えなきゃいけない時に、私は実家からこっそり持ってきた「私が生まれてくるまでの日記」を読んでいる。

母が退院するまでは書かれているので、実質1週間の日記。

母のきれいな文字で、短い日記ではあるけれど、時間単位で綴られている。

少しだけ紹介しようと思う。

 

 

 

2:42 

大きな声がひびく。あの痛さと苦しさは、どこへ行ったのかと思う程、すっきりとしボーっとする。赤ちゃんは先生の診察を受け、大きな泣き声を上げている。

少しすそが切れてしまったので縫うことに。麻酔をする程でもないとかで、そのままの状態で4針くらい縫う。この痛さも半ぱじゃない。

 

3:00

家に電話をしてくれ、1時間後病院にお父さん、カメラを持って到着。照れながらぎこちなさそうに赤ちゃんを抱く。娘の父になった感想はどうかな?

 

10:30

血液検査の結果、赤ちゃんは血液の量が少し多い、多血症のボーダーラインにいるので2日間点滴。点滴を左手の甲にし、心音などのモニターをつけている姿をみると、悲しいなァー。

 

 

 

 

退院日

AM1時から一時間毎に泣く。結局寝たのは5時を過ぎていた。アーしんどい、ねむたい。

 

とってもいい天気。退院びよりです。

 

 

 

 

 

 

 

 

どれだけ辛いことがあっても、悲しいことがあっても、苦しいことがあっても、私はこの日記があれば頑張ろうと思える。

 

わたしの宝物。

 

 

 

お腹を痛めて、しかも2人の兄を産んだその10年後に、私を産んでくれてありがとう。

 

 

 

大好きです。

忘れられない日常

今週のお題「好きなお店」

 

私の好きなお店は「サーティーワンアイスクリーム」だ。

どこにでもあるチェーン店だけど、私が好きなサーティーワンは地元にあったイオンの中にあったサーティーワンが好きだった。

 

 

時は2004年まで遡る。私が幼稚園に通っていた頃の話。

幼稚園の時って、おばあちゃんっ子かおじいちゃんっ子かで別れたりすると思う。私は根っからのおじいちゃんっ子だった。

 

おじいちゃんは昔、中学校で美術の先生をしていたらしい。しかも地元では有名だったとかなんとか。月に1回くらい、近くの小さな喫茶店に絵を飾りに行っていた。

そんなおじいちゃんの家は実家の隣だったので、毎日のように遊びに行っては一緒に絵を描いたり、写真を撮ってもらったり、陶器でできた小さなおうちの中にキャンドルを灯してくれたりして、楽しんでいた。

 

 

そして、たまにおじいちゃんと2人で散歩に出掛けた。

 

そこでいつもイオンまで歩いて、疲れたからアイス食べようねって、ベンチに座ってサーティーワンを食べていたのだ。

特に内容のある会話をしたわけでもないし、何か出来事があったわけでもないけど、その普通の日常を、おじいちゃんの手の大きさを、温かさを、今でも思い出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いつも食べていた、あの抹茶味。

 

 

何の変哲もない、どこにでもあるサーティーワン

 

 

おじいちゃんも覚えていてくれていたら、いつか天国でお話したいと思う。